フォルテピアノ奏者 丹野めぐみ BLOG。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業後、オランダ初めヨーロッパ各地にて研鑽を積み、同地にて活躍。現在オランダでもっとも権威ある「De Nederlandse Opera」のメンバーとして参加、また「Amsterdam Barok Opera」にて活動の場を広げるとともに、ヨーロッパを中心に、室内楽とドイツリートの分野で精力的な活動を行なっている。

演奏会前のティータイム(2) バッハって何人いるの?

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 はてさて、昨日は、すばらしい公演(スタンリー先生と室内楽のプログラム)を聴いて、モーツァルトの室内楽って、ハイドンやベートーヴェンのそれより神がかっているというか、個人的な意見では人間くささがまったくない深遠な音楽だなと。アンコールに行われたベートーヴェンを聴いてさらにそう思いました。自分もピアノ・カルテットは相当やってきたのだけど、あーこういう音楽だったかーと改めて気づいたというか、今の自分がまた取り組むことになったら全然違う気持ちで弾くことになるだろうなとか。。

 さて、11日の演奏会にむけてもうちょっと「ティータイム」を続けます。

 世界的に有名な「大バッハ」=ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)さんですが、実はそもそも「バッハ一族」は200年にわたって50人以上の音楽家を輩出した家系であります。粉屋(パン屋)(BACHは「小川」という意味のドイツ語)でツィターを奏でて(16世紀)いたご先祖様がいらして、中部ドイツのテューリンゲン地方がバッハ家代々の中心地になるわけです。

 この大バッハ、お父さんからヴァイオリンを習い、いとこのオルガンに耳をかたむける少年時代を経て、7歳あたりでラテン語の学校に入学し、家計を助けるために聖歌隊としてはたらきながら成績は優秀、そして10歳になる前に両親を失い、兄の手で育てられることになります。後にあのような音楽を生み出す原石が幼少期の辛い出来事を乗り越えて培われていったのかなと、想像することができます。この兄であるヨハン・クリストフ(1671-1721)は、バロックの巨匠パッヘルベル(「カノン」はとても有名ですね!)の弟子であり、大バッハもこの影響を受けたことは間違いありません。このお兄さんは、フローベルガー、ブクステフーデなどのバロックの大家の写譜を所蔵しており、まだ幼い大バッハはこれらをこっそり筆写したなんていう伝説もあります。またラテン語の勉強や、ルター派の神学を学んだことも将来に大輪の花を咲かせる礎となったようです。

 15歳で兄のもとを離れ、17歳で高等学校を卒業、18歳で念願の教会オルガニストとして採用され(アルンシュタットという町)音楽家として自らの人生を切り開いていきます。異例の才能であったためすでに高給取り、またとても熱い気質だったらしく聖歌隊と衝突!なんていうエピソードも。20歳で自ら、憬れのブクステフーデに会いにいき、多くのことを吸収したバッハは自分の様式を徐々に確立していきます。このころに作られた作品でもっとも有名なのは「ニ短調のトッカータとフーガ」です。(中学の音楽の授業にでてきたんではないでしょうか?)当時としてはセンセーショナルな音使いの「コラール」を書くようになったため、のちに教会と対立してしまうことになります。

  そしてこのアルンシュタットという町で最初の奥様マりーア・バルバラ(1720年に急死してしまう)に出会い、22歳で結婚。7人の子供のうち長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハとカール・フィリップ・エマーヌエルが傑出した音楽家に成長します。この二人の音楽を今回の演奏会では取り上げてどんな音楽なのか、また大バッハとはどう違うのか、聴いていただければと思います。

 この二人については後ほど。。

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