フォルテピアノ奏者 丹野めぐみ BLOG。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業後、オランダ初めヨーロッパ各地にて研鑽を積み、同地にて活躍。現在オランダでもっとも権威ある「De Nederlandse Opera」のメンバーとして参加、また「Amsterdam Barok Opera」にて活動の場を広げるとともに、ヨーロッパを中心に、室内楽とドイツリートの分野で精力的な活動を行なっている。

大学別ピアノ箱根駅伝!?

| | Comments(0) | Trackbacks(0)

 Party after the competition_R.jpgNature at Cornell_R.jpgSage Chapel stage_R.jpg  

  はてさて、今日はちょっとコンクール再考。

  まずは宣伝からです!そこのピアノをお客さんの前で弾きたくってうずうずしている方々!朗報です!よ!「第一回 全日本大学ピアノ演奏チームコンテスト」なるものが、四月2日に行われます!まだ若干の空きがあるようです!詳しくはこちら→ご覧くださいませ!http://upcc.web.fc2.com/ 

  私自身、数々のコンクール、オーディションなるものを小さい頃から受けてきました。最近挑戦したのがアメリカの「ヴェストフィールド・フォルテピアノ・コンペティション」でした。(2011)これは、アメリカの巨匠マルコム・ビルソン氏が旗揚げし、毎年違う鍵盤楽器(今年はチェンバロ)で、全世界の若手鍵盤奏者に機会を与えるという趣旨のものでした。審査員もそうそうたる顔ぶれ。業界では権威の、ハーヴァード大、ロバート・レヴィン氏、イギリスの名指揮者クリストファー・ホグウッド氏等々、いらっしゃるだけでドキドキの方々でした。その審査員が、まあ、5メートル圏内に、こちらをジーッと30分間見つめてくるわけだから、これは大変です。

  私自身は、最初から2番目!という幸運?に恵まれ、ロシア人の若手エリート(毎回コンクールでお会いしますね)の次にあたり、朝の10時から弾くということになりました。豪華絢爛の教会のなかで、彼の演奏の最後のほうを耳にしながら、心をしばし落ち着けていました。いざ自分の名前が呼ばれ、つかつかといつもどおり歩いていったのですが、まあ、その道のりの遠いこと。でも不思議と、自分のやれることだけをやる!という覚悟がしっかりありました。カール・フィリップ・エマーニュエル・バッハの「ファンタジー」から弾き始め、不思議と会場全体が、「あ、聴いてくれているな」という安心感を感じることができたんです。リハーサルの時は、この楽器ではうまく鳴らせないぞとか、いろいろ心配してへこんだりもしたのだけど、あの時は肝が据わっていました。楽器をワルターのモデルから、イギリス式ピアノ、「クレメンティ」(5オクターブ半)←クリス・マエネ氏製作のピアノに変えて、今度はデュセック。これも、ハーグで初めてリサイタルをした時のプログラムでした。コロコロと難しくて、速くなりがちなパッセージをできるだけ丁寧に弾こうと思いました。なぜならホールが大き過ぎて、教会なので響きもありすぎだし、とにかく、一音一音丁寧に届くように。でもあっという間に終わっちゃった、という感じです。何人かの見知らない人たちや、友人らに、温かい声をかけていただき、ひょっとして悪くなかったかな?!と自分の実感を信じることができた、ほっとしたような、でももう精神的にも肉体的にも限界で、すぐ部屋にもどり横になった次第です。笑

  幸いに次のラウンドへ、そして朝の今度は9時代に、自分がトップバッターで40分弾くという、運命のめぐり合わせになりました。その日の朝方、なぜだか、ベートーヴェンの手紙やら、彼に関するものを読み漁っていて、そうしたら涙がぼろぼろ出てきて、(感動したのだか、緊張が解けたのだか、わからないです笑)妙に落ち着き払ってしまった気持ちになりました。何事にも動じないというより、もうその動じるパワーがないといったかんじ?いつもならあんなに緊張するのに、ぜーんぜん緊張しないまま淡々と、(あんまり淡々と弾くほうではないのに)弾きました。手はすらすら勝手に動いていくのに、自分の意識はもう山の中の湖みたいに微動だにしない。あんまり今までにない感覚でした。あとで考えると、もうその時までに使い果たしていたのかな?で、そういう状況で学んだのは、演奏って、(ここから本題です!)「常に前向き」であること、いやむしろ「上向き」であること。時間という限られた空間をどんどん前へ前へ、それは悲しいときでも明るいときでもとにかく、力強く先へ進んでいくこと。その根源的なパワーが、絶対必要で、それは緊張(良い感じの緊張)をすると、脳に刺激がいって、自ずといつもなら出ているのだろうなと。そして審査員のマルコム・ビルソン氏から言われたのは、「今はなんのための演奏なのか、レコーディングなのか、コンクールなのか、コンチェルトのソリストなのか、小さい会場なのか、大きな会場なのか、そういうことを的確に判断した上での音作り、音の飛ばし方をもっと勉強しなさい」と言われました。なるほど、私は私の親密な関係をシューベルトやベートーヴェンには向けていたけど、そのときの会場には向けられていなかったのかもな、と感じました。常に自分の音に自分の魂が乗っかっていて、それが言葉になって、しっかり相手に届くこと、そういうことを目標にしてみようと思ったわけであります。

  それから、もっとコワイナーと思ったのは、お客さんです。最初のラウンドもセミファイナルも、このコンクールは他のコンクールより演奏時間が長いために、だいたい5分を過ぎると、観客に変化がおきます。ちゃんと奏者自身が集中していて、自分自身が楽しめていれば、お客さんもしっかりついてきてくれます。その一方お客さんがパンフレットをみたり動き出したりして。。結構正直な反応でした。だからこそ、「演奏」の場では、自分だけの演奏にならず、相手にちゃんと言いたいことをつないでいる演奏であること、それには、「いいたいこと」がちゃんと説得力があって、なおシンプルに相手に届くものであること、そんなことを改めて考えたのであります。

  だから、やっぱり若いうちにいろいろなコンクールにいっておいてよかったなと、今振り返ると思うのです。そして、もうひとつ、コンクールに受けに来る同い年くらいの奏者たちとの意見交換、普段どうやって練習しているか、どんな演奏活動しているか、もっと大事なのは、なにを考えて音楽と対峙しているか、そういうことを腹を割って話せる機会でもあるということです。これが「勝ち」だけに価値をおいて受けに来る人は、自分が次に進まなければ帰ってしまったり、仲間の演奏を聴かなかったり、変に他の受験者を意識したり、なんか力んでいたり、でもそういう感じは、練習室のブッキング(取り合い?の時点で人間性表れるので、大丈夫。もっともっと大事なことがコンクールにはいっぱい詰まっているのです!なので、私は結果がどうであっても今までの全てコンクールそして、そこでの一期一会に本当に感謝しています!さあみなさんもいざ出陣!してくださいね!

Trackback(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 大学別ピアノ箱根駅伝!?

このブログ記事に対するトラックバックURL(TrackBack URL for this entry):
http://megumitanno.net/mtos/mt-tb.cgi/212

Comment