fortepiano

フォルテピアノについて

 皆様が中学校の音楽の授業で見かけた黒いピアノ、実はあのピアノの原型ができたのはさかのぼること1850年代のヨーロッパでした。ではモーツァルトWolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)やベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770-1827)が、それよりも前の時期に活躍した作曲家なのは、ご存知だと思います。そうすると、彼らが演奏していたピアノは一体どのようなピアノだったのでしょうか?

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ピアノの起源を簡単にご説明しますと、1709年にイタリア・フィレンツェで、メディチ家の楽器職人として働いていたクリストフォリBartolomeo Cristofori (1655-1731)という人物がピアノを発明したといわれていますが、それを受け継いだのはイタリアではなく、ドイツのジルバーマンGottfried Silbermann (1683-1753)でした。改良を重ねて1747年ポツダムのサンスーシー宮殿でバッハに試奏を依頼し、彼の賞賛を得ました。ジルバーマン以降、ピアノ製作(ピアノのメカニック)は大きく二つの流派に分かれます。それは「イギリス式アクション」と「ウイーン式アクション」という名称で呼ばれています。現在生産されているピアノは、ほとんどが「イギリス式アクション」を用いています。スタインウェイ(1853年創業)やベヒシュタイン(1853年創業)がその代表格と言えるでしょう。
 

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 さて、「ウイーン式」のピアノの発展はどうだったのでしょうか?J.A.シュタインJohann Andreas Stein (1728-92) という楽器作りの名手をまずご紹介します。彼はG.ジルバーマンの甥にあたるハインリッヒ・ジルバーマンHeinrich Silbermann (1722-99) の工房で学び、その後はモーツァルト一家が彼から旅行用鍵盤楽器を購入したほど有名でした。その後はアントン・ヴァルターAnton Walter (1752-1826) やヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーJohann Andreas Streicher (1761-1833) やコンラート・グラーフConrad Graf (1782-1851)、ミヒャエル・ローゼンベルガー Michael Rosenberger (1766-1832) 、ペーター・ローゼンベルガー Peter Rosenbergerといったメーカーが頭角を現します。

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1840年代になると、ピアノの鉄骨の前身となる支えが入り始め、また徐々に製作を工業化し始めたイギリス、フランス式のピアノが台頭し始めます。そしてこれは、楽器の大量生産や音量への要求、それにともなうハンマーやアクションの大型化など、ウイーンのピアノ作りが生き残りをかけた苦悩の時代に突入したことを意味しています。

では「イギリス式」と「ウイーン式」はどのような違いを持つのでしょうか?音を出す(ハンマーが弦を打つ)仕組みは、「ウイーン式」(跳ね上げ式)は鍵盤と連結したハンマーを、鍵盤を押し下げることによって跳ね上げて弦を打ちます。一方「イギリス式」(突き上げ式)は鍵盤と連結していないハンマーを押し下げることによって、下から突き上げて弦を打ちます。これによる音の色彩は全く違うもので、「ウイーン式」はハンマーが小さく、鍵盤の深さも浅く、軽快で明るい音色を長所とします。「イギリス式」はタッチが重く、鍵盤は重く、重厚な和音を奏でるのに適しています。クレメンティ Muzio Clementi(1752-1832) や「夜想曲―ノクターン」の創始者として有名なフィールド John Field (1782-1837) 、練習曲で有名なクラーマ― Johann Baptist Cramer (1771-1858) が「イギリス式」を絶賛しました。かたやハイドン Joseph Haydn (1732-1809) 、モーツァルト、チェルニー Carl Czerny (1791-1857)、シューベルト Franz Schubert (1797-1828)、メンデルスゾーン Felix Mendelssohn (1809-47)、ロベルト・シューマン Robert Schumann (1810-56)、クララ・シューマン Clara Schumann (1819-96) らは「ウイーン式」のピアノを好みました。

ベートーヴェンの生きた時代は、まさにフォルテピアノの劇的な転換期でもありました。彼の革命的精神と耳を患った彼の内面から湧き出る途方もないエネルギーは、その当時のピアノでは表現しきれない劇的な音楽を生み出し、それによって楽器製作者を刺激することにもなったのです。
たとえば彼のピアノソナタ作品13「悲愴」は「ウイーン式」のヴァルターのピアノ(5オクターヴ)で、そして1801年「月光ソナタ」作品27‐2や1802年「テンペスト」作品31‐2はやはり「ウイーン式」のヤケシュJakeschのピアノ (5オクターヴ) で作曲されたようです。1803年にはセバスティアン・エラール(1752-1831)(フランスで「イギリス式」ピアノを開発中、フランス革命(1789年)が勃発したためイギリスに亡命。1796年にパリに帰還)から、「イギリス式」のピアノ(5オクターヴ半) を贈られます。1809年までは気に入って用いたようで、代表作は1803/04年に作曲された「ワルトシュタイン」作品53や1804/05年「熱情」作品57、1805/06年ピアノ・コンチェルト第4番作品58などがあげられます。またペダルもヴァルターやヤケシュのピアノでは「膝」でダンパーを動かしていたのに対し、足で操作するペダルを備えていました。

しかしベートーヴェンは必ずしも「イギリス式」ピアノに完全に満足していたわけではなく、1796年にヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに「ウイーン式」のピアノを贈られて以来、そしてまた1809年以降にも改良を加えたピアノを借りて(6オクターヴ)、ピアノ・コンチェルト第5番「皇帝」作品81aを生み出しました。1818年にははるばるロンドン港からウイーンまで「イギリス式」のブロードウッド製のピアノ(6オクターヴ)がベートーヴェンに献呈され、最後の3つのピアノソナタ作品109 (1820年)、作品110(1821年)、作品111 (1821/22年)という壮大なスケールのソナタを生み出すことになるのです。

ベートーヴェン最後のピアノは、コンラート・グラーフ製のもの(6オクターヴと4度)で、1823年ころから所有していたようですが、すでに彼は最後のピアノソナタを書いた後であり、作品120の「ディアベリのワルツの主題による33のヴァリエーション」(前述のブロードウッド製のピアノも同時に用いられた)や作品126の「6つのバガテル」がこのピアノから生み出されました。この作品の第一曲目、ト長調のシンプルながらも煌く音の質感で表現される深さは、タイトルの「バガテル」(つまらないものという意味)とは裏腹にベートーヴェンが「ウイーン式」のピアノを最後まで愛し続けたことが伝わってくるかのようです。

フォルテピアノとの出会い

私とフォルテピアノとの出会いを振り返ってみますと、時は1999年、芸大の3年生だったころ、大切なお友達の一人であるまゆちゃんと学食キャッスルにてお昼をしていたとき、なぜだか「フォルテピアノ」の話になりました。「モーツァルトとかすごく好きだけど、どうも私にはモダンのピアノで弾くとしっくりこないな。。」なんていう話を彼女にしていたところ、「今日は小島芳子先生が来ているから紹介する!」という言葉を信じて、先生のお部屋を訪ねました。

小島先生がチェンバロのレッスンをなさっていた部屋に着いたとたん、彼女がドアを開けてくれたまではいいのですが、「じゃあ!」と去ってしまい。。「こりゃ困った!」と思っていたら、小島先生が「どうぞ!」と、とても優しく接して声をかけて下さったのでホッとしたのを今でも鮮明に覚えています。私の初歩的な質問を受け止めてくださってから一言「ここでは生徒がいっぱいで教えられないので、自宅へどうぞ」という、驚きと感動で一瞬なんと返事をしたらよいのやら迷ってしまいましたが、これが今日までの自分がある一番奇跡的な出会いだったと思います。

99年から2001年まで小島先生にはお世話になりましたが、今になってやっと先生の教えてくださったことがちょっと解かって、それが頭でわかるのではなくって、身体でできるようになってきました。あの細いしなやかな指から、フォルテピアノが喜んで反応している感じが、私の脳裏にしっかりと記憶されています。今思うとあのような音を身近に感じることができたことが、なんて貴重な体験だったのかと、振り返ることもしばしばです。

オランダ・デンハーグでは、小島先生と同時期にスタンリー・ホッホランド先生に師事していたバルト・ファンオールト先生に、本当にみっちり6年間教わることができました。頂いた練習曲を5曲、一年間ずっと弾いてみたり、「これで出来た!」なんて喜んでいたらさっと次のレベルの課題を出してきて、「あたーー」なんて落ち込んだりの連続。それでも私がどうやったら伸びるかということを感覚的にちゃんとわかっていて、そして「必ず伸ばしてみせる!」というような絶対の信頼関係も強かったので、安心して笑って泣いて議論(彼は議論ができる生徒が好きなようなので)することができました。また精神的にもいつも助けていただき、レッスンで弾き始めると「失恋でもしたのか?」なんて図星を何度も!言い当てられて、しまいには「もっと自分に愛を注いだほうがいいんじゃないか?」なんて、もっとも痛い部分をつかれたりと。。本当に小島先生との出会いがこんなふうに膨らんでいくとは夢にも思いませんでした。

2004年の夏、フォルテピアノでソロのコンクールを受けた後、どうしても先生方の師匠であったスタンリー先生にレッスンをお願いしたいという気持ちが芽生え、バルト先生と相談した後、修士課程では両方の先生からご指導をいただくことができました。小島先生からお話は聞いていたのですが、憧れが強い分、とんでもなく緊張していまい、「手が震えているから、もう一回ね」と微笑まれたのを覚えています。普段はとても物静かでゆったりとしているのに、ショパンのエチュードを持っていたら、「速い速い!」。時にはエネルギッシュで、またあるときは長いラインをじっくり歌っていく演奏からは、必ず先生の温かい人間性が聞こえます。レッスンでは何度か、感動のあまり涙をこらえることがありました。そしてあのユーモアたっぷりの物の言い方やチャーミングなお人柄が、時には私のつたない演奏に対する嘘のまったくない感想(もちろん痛いのですが)をいわれても、そこで終わることなく挑戦していこうという勇気を与えてくださったように思います。

またバルト先生のアメリカ時代の恩師マルコム・ビルソン先生にも何度もレッスンをしていただき、特に最近のミデルブルグ(オランダ)でのマスタークラス(2008年7月)は記憶に新しいところです。楽譜へのどこまでも謙虚な姿勢、作曲家に対する真摯な敬意はいつも胸をうたれます。今回は「熱情」を持って行ったのですが、やはり新しい視点での発見がいくつもあったので、私自身も本当に勉強になりました。そして私のピアノ(後述)のアクションが壊れてしまったときも、「大丈夫大丈夫!治せないことなんてないから!」と夜中まで一緒に作業してくださり、そういう貴重な時間が持てたことをとても感謝しています。一番記憶に残っているのは、先生が世界のコンクールのお話をなさっていた時で、「若い人たちはみんなショパンやラヴェル、ラフマニノフとかすごく上手みたいだけど、モーツァルトやベートーヴェンをちゃんと弾ける人はほとんどいないって」「だから僕たちが彼らの音楽をしっかりと次に伝えていかなければならないよ!」と言って一瞬真顔になって去っていかれたとき、自分の音楽家としての使命を切実に感じるとともに、自分のやってきたことや信じてきたことをもっと形にしていかなければという想いに駆られました。それはある意味とても清々しい気持ちでもありました。

マルコム先生が監修してらっしゃるDVD-Knowing The Scoreにご興味のある方は以下を参考にしてください!

http://www.knowingthescore.com

さてさて、このフォルテピアノを用いた演奏というのは一体いつころから盛んになったかというと、1970年代以降に前述のマルコム先生やスタンリー先生方がフォルテピアノでの録音を始めたころにさかのぼれるでしょう。当時の楽器の復元がなされ、19世紀初頭以前のピアノを「フォルテピアノ」として「モダンピアノ」と区別するとともに、ある音楽作品を演奏する際には、当時の演奏習慣を研究し、その作品が演奏された当時の楽器、または作曲家が想定していた楽器(あるいはその忠実なレプリカ)を用いるべきであるという考え方が少しずつ広まってきました。

私はたまたま自分の人生でこの「フォルテピアノ」という楽器に出会いましたが、「モダンピアノ」でなければできない表現もいっぱいあるし、どちらかでなければならないということではありません。当時の楽器を弾くことで、作曲家がどんな気持ちだったかを見つめなおすことは、演奏家として自分の想像性を膨らませていくことにもつながり、自分と作曲家とのパーソナルな絆を、楽器を通して深めていくことは、本当に終わりのない旅ようなものです。またそこには自分の日々刻々と変わっていく内面が投影されるのですが、その変化をすべて受け入れることができてしまう普遍的な音楽作品に対して、謙虚な気持ちで接していくことが今後の課題だと思っています。

私のピアノ

私が持っているピアノ(オランダにあります!)はドイツ・ノイペルト社製のDulkenという人が1815年あたりに作ったピアノのレプリカです。このノイペルト社は、ヨハン・クリストフ・ノイペルト(1842-1921)は楽器の収集を始め、1868年に会社を設立しました。1907年ころから楽器の製作を手掛けるようになり、1968年には彼の膨大なコレクションが250台にのぼり、ニュルンベルグのゲルマン博物館に寄贈されたそうです。こうした楽器コレクションが古い楽器への関心を高め、のちのフォルテピアノの復興に大きく影響を与えたといえるでしょう。

私のピアノ

私のピアノは6オクターブで、シュトライヒャーのモデルに一番近い「ウイーン式」のピアノです。ペダルは左からシフト・ペダル、真ん中が「モデレーター」、右がダンパー・ペダルになります。音はとても明るいのですがパワーがあって、古典派後期のものから中期ロマン派まではこなせます。一番しっくりくるのはベートーヴェンやシューベルトで、ベートーヴェン好きの私にはたまらないピアノです。また歌との相性も抜群で、ドイツ・リートも良く奏でています。