フォルテピアノ奏者 丹野めぐみ BLOG。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業後、オランダ初めヨーロッパ各地にて研鑽を積み、同地にて活躍。現在オランダでもっとも権威ある「De Nederlandse Opera」のメンバーとして参加、また「Amsterdam Barok Opera」にて活動の場を広げるとともに、ヨーロッパを中心に、室内楽とドイツリートの分野で精力的な活動を行なっている。

May 2009Archives

ブラヴァ!

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 今日は丸の内を終日盛り上げている「ラ・フォル・ジュルネ」に行って参りました。いやいや、スペインのバルセロナでむかーしに野外音楽祭に出た時の感じと雰囲気が似ていて、曲が始まるまではなんとなく騒がしいのだけど、始まっちゃうと皆それぞれの想いで耳をすますというか、その集中がこっちにまで伝わってきていい波動を生むというか。。とにかくこういう機会がもっと日本で増えていくといいのになと思いました。
 
  そして今日の演奏、松本あすかさんと多喜靖美先生のピアノ、そしてクラリネットの川上一道さん。松本あすかさんの繊細な音が、多喜先生の温かい音に導かれて始まった一曲目。そして松本あすかさんのソロで特に好きだった「イタリア協奏曲」の第三楽章をアレンジしたもの。クラシック、そしてジャズ両方に精通している人のみに許されるグルーヴを聴けて、そういうアプローチで来られると身体も勝手に反応し、ひとりノリノリで聴きいってました。また川上一道さんの温かい音が、有名なアリアの、自分の好きなポイントで、自分がイメージしている通りの音を表現してくださったので、そこからは別世界に入ってました。また最後のピアニカ演奏も、ただかっこいいだけでなく、ちゃんとした世界を3人全員で構築していたから、聴いている私たちは妙に納得して、短い30分だったけど、とても濃く、忘れがたい時間を過ごせたと思います!!

無い!

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 朝起きて一言目「ピアノが無い!」
 そりゃもちろんそうなのだけど、18年間見てきた風景が一転すると、ついつい口にも出したくなってしまうもの。。そういうジョークを飛ばして心を明るくもっていかなくっちゃね!私の音が染み付いちゃっているピアノの、これからの長い旅と素敵な出会いを応援しなくっちゃ!

 そんなわけで昨日、別れを告げました。何度も写真をとったり、音を録音してみたり。でも不思議と、そこにあったものがないということをすんなりと受け入れることができた。そういう自然の流れでこうなったことだし、もちろん恋しいのだけど、なんというか、時間の不思議な流れを感じずにはいられない。目の前にもう無いからこそ、余計に愛おしくなったりするし、またの再会までもっと上達しておこう!という気持ちにもなる。うちの前を流れる多摩川の、大きなゆったりとした流れをみていると、そんな気分にさせてくれます。

ロシアより愛をこめて

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 改めてショスタコの「交響曲第五番」をアシュケナージ指揮、ロイヤル・フィルの演奏で聴いてみる。テンポ設定の的確な解釈が、音楽を立体的に浮かび上がらせる。そして遠慮のない金管の破壊的な音。リズミカルなトランペットが少しアイロニー的なマーチを奏で(自分のかなり好きな音)、それはメロディーとなりさらなる高みへと聴く者を誘う。また第三楽章の洗練された、でも「熱さ」を感じる、なにかをたどった先に行き着いた世界。そして終楽章で金管が同じ音を繰り返した時のあの痛みが、最後には何かを突き抜けて、「希望」をつかんだという確信をもって終わる。。。なんで、こんなことが可能なんだろう?これはなにを意味するんだろう?
 
 そんなことを考えて、いろいろと読んでみると、「ラスプーチン」という伝説の男が見えてきた。(ルパンの「ロシアより愛をこめて」でちょっと聞き覚えのある名前)
 ショスタコが生を受けた2年前、彼はペテルブルグにやってきた。時代に翻弄され、疲れ果てた民衆はすぐに彼の「魔力」に取り付かれ、心霊術やオカルトにふけることになる。とくに貴族階級の貴婦人からのモテぶりはすごかったらしい。一際異彩を放つ外見と人を見透かすような目、やがてロシア皇帝夫妻も彼の魔術から逃れられなくなる。彼は夫妻の息子の病気を治したりしたことで信頼されて、実質上あの広大な国を数年間支配することになる。そして最後はロマノフ王朝を破滅に導き、王朝を擁護しようとした貴族グループによって1916年に暗殺。またその「最期」も異様だ。不死身かと思わせるその様はどんなに周りを震え上がらせたことだろう。。。
 そんな時代に少年時代を生き抜いたショスタコ。どんな音楽も、音楽家も「時代」と切り離して存在することはできない。人々が人々を信じきれずありとあらゆる怪しげな世界が広がっていたとすると、この「第五番」で彼が示したかったであろう世界は、もっと「リアリスティックな」もの、生身の人間が苦しみ、ひとりひとりの人間が確かにそこで息をしているという当たり前のこと、そしてその声はは必ず一つになって「現実」を打破できる力となりえるということ。音楽がもつ力をだれよりも彼が信じていたし、音楽を通すことによって、そのメッセージはより強く、その社会に生きた人々の魂を支えたのだと思う。