はてさて、私の作業がたいてい夜遅いため、明日アップしますよっていってから、ちょっと時間遅れた感がありますが、お許し下さい。
今日から連載で、「テンポ・ルバート」アントニオ・ピリコーネ&丹野めぐみ公演に際しまして、ちょっと事前に知っていただけたら楽しいかもという情報を書いてみますね。ではでははじまりはじまり~~
今日掲載した絵は、業界ではとても有名なもので、「モーツァルト一家」の肖像画です。「ピアノ連弾」=一台のピアノを二人で仲むつまじく(これがなかなか難しい。。理由は後述)高音部と低音部に分かれてまるでひとりで弾いているかのよう奏でる。このジャンルを一躍有名にしたのが、そう、このモーツァルトと姉のナンネルのペア。姉も相当なピアノの腕前をもっていて演奏旅行でも一緒だったこともあるし、また「連弾」というジャンルは先生が音楽を弟子たちに教えるときにも非常に有効なエッセンスがつまっているため(例えば先生といっしょに弾くことで、生徒もノリノリで弾けちゃうとか、先生が弾いたものを、音楽の中で「真似る」ということが自然に行われやすく、生徒が習得しやすいとか。。)、モーツァルトは5曲のピアノ連弾用ソナタと、1曲の変奏曲を書いたのであります。
がしかし、、このような珠玉の名作たちは、なかなか現代の商業ベースの演奏会に向かないのが現状であります。なぜって、いかに技巧的な作品であっても、このような音楽の持つ本質は極めて親密な二人の奏者のやりとりであり、当然のことながら奏者の呼吸が感じられる空間での演奏が望ましいのです。なのであまり演奏会で「連弾」だけをとりあげることは、まあ、世界的にみてもそんなに多くはないことなのです。(日本は特に協調精神を大切にするから、このジャンルに力を入れている人がかなりいらっしゃることは最近知りました!)
さて、さらにもうすこし突き詰めていうと、フォルテピアノという楽器の性能とも関係してくるわけですが、「連弾」は基本的には、「対話の芸術」ということがいえます。なぜこの時代の音楽をこの時代の楽器=フォルテピアノを使うとさらにうまくいくかというと、現代のピアノは低音部が交差弦なので、音が混ざり合いやすく、これらの時代の連弾曲に多用される音型を弾くと重たく響きすぎてしまうわけで、高音部のメロディーや各声部の対話を描きだすのは至難の業となるわけです。一方フォルテピアノは平行弦なので、低音が一音一音クリアに聞こえ、各奏者の異なった音域で紡ぎだされる旋律が、「対話」として聴き取りやすくなるわけです。またフォルテピアノは音域によってカラーが異なりますので、この対話に、より強い色彩やキャラクターを与えることにもなるわけです。この辺がフォルテピアノで聴く連弾の醍醐味ではないかと思います。
がしかし、(何度もすみません)。。フォルテピアノは鍵盤数が現代のピアノよりもかなり少ないため(モーツァルト当時のピアノは5オクターヴと数鍵がプラスされていた小さな(今のものと比べると)ピアノだったのであります。ということは!二人の奏者が隣あわせになっただけでも、スペース的にかなりしんどいわけで。。そして奏者二人のタッチをそろえるとか、そういう問題もあったりするわけで。たとえばこの「肖像画」をみていただいても分かるように、モーツァルトと姉ナンネルの手首あたりに注目していただくと、例えばタイミングをそろえたい時なんかは、このような小技をきかせて「手首を重ねる」ことで、二人の手がまるで一人の手になったような感覚を利用して音を切ったりするタイミングを合わせていったりするのです。
また同じ楽器同士はエゴもぶつかりあいやすく、(この点では他の楽器とのアンサンブルのほうが楽だとはいえるでしょう)とくに、フィジカル的に接近しているので、高音部を担当する(「プリモ」といいますが)人の左手と、低音部を担当する(「セコンド」)人の右手とが、まあかなりの割合でかさなり、どっちかが一瞬でも長くステイしてしまった場合、次の音をとる奏者が飛び込んできたりすると、ちょっと血がでたり(大げさかな)すりむけたりすることもあります。(特に小指あたり)ご注意を。
そんなわけで「連弾の心得」は、自分のパートに「いつ」目立たせなければならない旋律が与えられているのかという構造の把握、そしてそれ以外はひたすら「相手に譲る」という忍耐力、そして「相手の心と指」になりきって、いつ自分が退いたらいいのか、どのようにその引き際を見極めるのか、といった、「相手の一挙一動を深く観察する能力」の有無が問われる、非常~に奥深いジャンルなのであります。そして、そういう工夫、営みのなかで相手をよりよく理解するということができる!なんて啓蒙主義的な芸術でありましょう!(笑)
最初ッから気合が入りすぎちゃったみたいです。明日はもうちょっとプログラムについてご説明いたします。
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