フォルテピアノ奏者 丹野めぐみ BLOG。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業後、オランダ初めヨーロッパ各地にて研鑽を積み、同地にて活躍。現在オランダでもっとも権威ある「De Nederlandse Opera」のメンバーとして参加、また「Amsterdam Barok Opera」にて活動の場を広げるとともに、ヨーロッパを中心に、室内楽とドイツリートの分野で精力的な活動を行なっている。

演奏会前のティータイム(5) バッハ最後の弟子

| | Comments(0) | Trackbacks(0)

 第一夜のコンサート、無事終了いたしました。これも皆様の温かいご声援あってのことです。本当にありがとうございました。プログラム的にかなり内容を盛り込んで(現代曲やお話やら)、自分にプレッシャーを与えてしまいましたが、温かい雰囲気に包まれて、なんとかのりきることができました。英治さんとのリートはかなり集中することができて、自分も楽しみながら演奏することができました。

 さて、第二夜のプログラムに入れましたミューテル(1728-1788)について少し書きたいと思います。写真をみるとかなり美顔ですね!彼はドイツ人の作曲家で、その作品からはカール・フィリップ・エマーヌエル・バッハとならんで、「疾風怒涛時代」のスタイルをみることができます。知られている限りでは、彼は1771年に、出版された楽譜に初めて「フォルテピアノのための」という記載をしたそうで、その時代にはフォルテピアノが台頭してきたことを示しています。

 彼のお父さんはテレマンと交友があり、ミューテルの音楽に大きな影響を与えました。1750年には大バッハに作曲を習うためライプツィヒに赴きましたが、彼は最後の弟子としてわずか3ヶ月だけ教えを請うことができました。彼は大バッハが亡くなったときも、そのそばに付き添っていたそうです。その後大バッハの弟子に作曲を習いながら、他の作曲家に会おうと旅を重ね、ポツダムのフリードリヒ大王に仕えていたエマーヌエル・バッハに会えたことは、生涯の礎となりました。

 1753年には彼の兄弟に続いて、ラトヴィアの首都リガへ移り、ここで1756年に初めて彼の作品(28歳!)を出版しました。歴史書家のチャールズ・バーニーは彼の著作の中で、ミューテルの卓越した技術や誉め讃えました。またシューバルトも彼のチェンバロのテクニックを「その速さと的確さと軽さ」において絶賛しておりました。

 彼の作品のほとんどが生前に出版されなかったのですが、彼の鍵盤作品はやはり高く評価されていたようで、15日公演で弾く「アリオーソハ短調」もその中のひとつ、1756年に出版されました。テーマのほかに12の変奏曲がついておりますが、細かい装飾音やフレージングを考えると、チェンバロまたはクラヴィコードを想定しての作品かと思われますが、フォルテピアノ特有の響きでどのくらい彼の世界に近づけるのか、挑戦してみたいと思います。

Trackback(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 演奏会前のティータイム(5) バッハ最後の弟子

このブログ記事に対するトラックバックURL(TrackBack URL for this entry):
http://megumitanno.net/mtos/mt-tb.cgi/185

Comment